西暦1225年、親鸞聖人ちょうど53歳のことです。
1月8日に、ただ一人稲田(現茨城県)の草庵を出た聖人は高田の地に来られましたが、次第に日は暮れるものの宿をとる民家もありませんでした。
そこで一枚の平石の上に腰を掛け念仏をして夜明けを待つことにしました。ところが、東の空が明るくなる頃一人の童子が現われ、「私は、あなたの寺院建立の 聖地を教えようと来たのです。この地は、お釈迦様が説法された聖地です。」と聖人に柳の枝と菩提樹の種をくださいました。
そこで、聖人はここに伽藍を建てようと思い、その朝柳の枝を挿し、菩提樹の種をまきました。
聖人のこのお考えに真岡城主・真壁・小栗・久下田、遠くは相馬の城主が協力し、ここに寺が建立されることとなりました。これが専修寺の草創です。
当寺を中心とした門弟は、「高田門徒」と呼ばれ、真宗最大の教団でしたが、戦国時代に兵火によって焼失するなどのことがあって衰退し、教団の中心は伊勢国一身田(現三重県)へ移ってしまいました。
江戸時代になってようやく復興したのが現在の姿で、高田派ではここを「本寺(ほんじ)」と呼んで尊んでいます。国からは「親鸞聖人の宗教史跡」として、国史跡に指定されるとともに、諸堂も国や県等の重要文化財に指定されています。