関東の地は、親鸞聖人が四十歳から六十歳までの壮年期を、念仏教化のためにフルに活動された土地であり、 真宗門徒共通のふるさとであります。
中でもこの高田専修寺は、聖人が建立された唯一の寺院であり、七年の間聖人が居住され、専修念仏の根本道場とされた聖地です。
聖人を慕って、各地から遠近を問わず集まった多くの門弟や農耕者たちが、この高田の如来堂で聖人のお話しを聞き、ひたすら念佛したのです。
高田の如来堂は、聖人の布教の拠点であり、ここを中心として高田門弟が形成され、関東でももっとも有力な教団となりました。 門弟の中からはすぐれた人物が輩出しましたが、中でも真佛・顕智両上人は、親鸞聖人の後を継いで、教団の護持発展に 中心的な役割を果たされたのでした。
それから七百数十年を経た現在も、約二万坪の境内にはうっそうとした老樹が生い繁り、七堂伽藍が古色蒼然と立ち並んで、聖人の御遺跡の中でも、最も よく御在世当時の姿を伝える、随一の御旧跡となっています。昭和四十二年、国が史跡に指定したのももっともでありましょう。 寛正六年(一四五六)第十代真慧聖人が教線拡張のため寺基を伊勢国一身田に移され、二つの専修寺が並立することと なりましたので、昭和二十四年「宗制」によって一身田を本山とし、下野を本寺と呼ぶようになりました。
聖人御真筆の名号や御聖教・消息なども、数多くこの寺に伝持されてきましたが、それぞれ国宝や重文に指定されて、 現在は本山(三重県津市一身田町)の宝庫に、門弟たちの貴重な文書と共に、大切に収蔵されています。